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andymoriというバンド

 
昨日ほどここにいてよかったと思ったライブは今までになかったと思う。
 
andymoriというバンドを知ったのは高校時代の軽音楽部で仲良くなった友達のおかげだった。
 
 
15歳で邦楽ロックにどハマりし、高校生になってからは毎月ロッキンオンジャパンを購読し、見事に絵に描いたようなクソロキノン厨だった高2の冬。
 
 
友達に教えてもらったスペシャ列伝ジャパンツアー2010。今思えばあのツアーのラインナップほど気持ちが高まったイベントはないような気がする。
 
 
今ではだいぶご無沙汰なバンドが多いが、そこにandymoriがいた。友達に借りた「andymori」というアルバム。訳もわからず1曲目のFOLLOW MEでのめり込んだ。なんだこの勢いは、なんでこんなに必死に歌ってるんだ、そのまますぐに2ndアルバム「ファンファーレと熱狂」を予約しに行ったのを覚えている。
 
 
ジャパンツアーはその時すでにソールドアウトでもちろん行けなかったけどそのレポートをたくさん何回も読んだ。
 
 
高校からドラムをはじめたけど絶対わたしには叩けない、叩きたくないと何回も思った。だって顔はよく見えないけどとても辛そう。ベースだけが涼しい顔をして演奏している。でも辛そうだけどかっこいい、それがandymoriというバンドの印象だった。
 
 
だけどその頃のわたしにはandymori以上に好きなバンドがたくさんあって、ライブに行き始めたのはまだ間もなかったからandymoriのライブに行きたいなんて思いもしなかったし、だいたい大好きなバンドでも音源で満足していたからライブのために遠征なんてすることもなく、ライブに行くということは高校時代のわたしからしたら年に数回のビッグイベントだった。
 
 
高3の夏、そのビッグイベントのひとつであるロックインジャパン。指定校推薦のくせに受験生という肩書きのせいで行くのを諦めた。だけど夏フェスに行かない夏に耐えきれなくて親に内緒で地元のフェスに行った。
 
今思い出してもあの時の「内緒の夏フェス」にはわくわくする。塾に自習に行くと言って、普通に考えて自習室も空いてないだろっていう早朝にお弁当を持って制服で家を出て、宇都宮駅でTシャツに着替える。お昼ご飯はお金もないので母が作ってくれたお弁当のおにぎり。帰りも宇都宮駅で制服に着替えて今日も1日たくさん勉強してきたよと装って帰宅。このことをいつ親に明かそうか未だに悩んでいるくらいだ。
 
 
地元のベリテンフェスティバル2010、こんなに素敵なバンド達を栃木に呼んだラジオベリーにとても感謝した。
 
 
たしかオープニングアクトのすぐの演奏だったと思う。はじめてのandymori。他のバンドとは違う変わったドラムの位置。リハの時点でわくわくが爆発しそう。セトリなんか全然覚えてない。でも聴きたい曲がたくさん聴けて、グロリアス軽トラの「栃木の空の下」を聴けたはず。
 
 
その1ヶ月後くらい、わたしの大好きなドラマーが脱退を発表した。大好きなバンドマンがバンドを離れること、音楽性の違いだのなんだのメンバーとの仲だのいろいろ理由は考えられるけどそんなこと知らない。もちろん小山田壮平に惚れたことも理由のひとつ。だけどなにより好きだったのは後藤さんのドラムだったはず。何か語りかけてくるように歌う小山田壮平を邪魔するような強烈なドラムプレイ。でもその強烈なドラムに負けない、感化されるようにして歌う小山田壮平も大好きだった。
 
 
ドラムが変わって何が変わってしまうんだろう、期待もあったが少し萎えてしまったのも本音だった。ドラムが変わって初めてandymoriを見たのが年末のカウントダウンジャパンだった。初めての年越しフェス、確か年が明けて眠さをこらえて見たandymori。ドラムが変わってこんなにも変わるのか。いい意味で丸くなったような気がした。
 
 
「革命」というアルバム。今は大好きな1枚。かっこいい音が好き、かっこいいドラムが好き、なわたしにはとても物足りなくてそれっきりandymoriを聴く回数がだんだんと減ってきた。
 
 
わたしは大学生になり、軽音楽部に入った。周りの友達に音楽の趣味の合う人は少なく、先輩たちは洋楽至上主義。大学で音楽好きな友達を作ってライブ、フェスに行きまくる、というわたしの夢はすぐ散った。先輩たちの影響を受けて洋楽も聴くようになった。「andymori」というバンドは「高校時代によく聞いていたバンド」という分類になった。
 
その1年後、大学2年になった部活の定期ライブ。そこにandymoriのコピーバンドがあった。先輩がandymoriのために買ったというリッケンバッカーの前で久しぶりに聞いた。やっぱり見てしまうのがドラムだった。先輩は上手いし、いつ見てもスマート。でもわたしのすきなandymoriじゃねーなー。それからまた聴くようになった。もちろん1st、2ndアルバム。小山田壮平の声は心地よかったけど歌詞なんてそんなもの全く気にしてなかった。わたしの集中はドラムだった。
 
 
 
その年の秋、小山田壮平は脱法ハーブ騒動を起こした。
 
 
 
脱法ハーブなんてよく知らない。でもいいことではないことくらいわかる。いい音楽を作る人がいい人とは限らない。それも分かっているはずだった。小山田壮平に期待をしていたわけじゃないし、わたしの理想を彼に当てはめていたこともない。でもこのハーブ騒動で私の中で一気に「薬中の歌うバンド」になった。
 
 
幻滅した。信じられなかった。高校時代、「ロックとパンクは何をやっても許される」が口癖の友人がいた。だからなんだ、許されねーよ。
 
 
 
そのあとは早かった。解散が発表されたけど興味は湧かず、そうなんだ、くらいしか思わなかった。そして小山田壮平の飛び降り事件。何をしているんだ小山田壮平。悲しくなった。
 
 
そして今年2014年。リハビリで完治したはず。やっと解散ライブの年になる。
 
 
わたしはドラムの脱退、ハーブ騒動、飛び降り事件を経てandymoriに幻滅していた。今年の春にイベントで見たKidori Kidori。ベースが脱退してサポートメンバーによる演奏。そこにいたのはandymoriの藤原さん。「どうせ、andymori解散したらきどりのベーシストになるんだろうな」と思った。その時久しぶりにandymoriのことを思い出した。
 
 
わたしの周りにはandymoriが大好きな友人たちがいる。もちろん大阪の野外音楽堂のライブに行っていたし、解散前に見れてよかったねと思った。野外音楽堂のライブのレポートを読んだ。革命以降のアルバムは知らない、だから知らない曲も多い、でもこれでこのバンドは解散してしまう。そう考えた時、最後に一度見たかったと思った、ただのミーハーだった。
 
 
SLSのライブが最後の日、それさえも知らなかった。武道館での解散ライブがアナウンスされた日、andymori解散をこの目で見ようと思った。
 
 
チケットを手に入れた。友達に協力してもらった。座席は全席指定、アリーナだった。初めての武道館。今まで何回も武道館に行くチャンスはあった。こうしてandymori解散ライブが初めての武道館になるのは何かの縁かなとちょっと思った。ただの偶然なのに勝手に自分の中で感動ストーリーを作り上げていた。それくらい楽しみだった。
 
 
10月15日は忘れられない日になるだろう。前日から楽しみで仕方なかった。天気は雨、とても寒い。お気に入りのコートで武道館に向かう。九段下の駅に着くと偶然に部活の後輩に会った。これまたびっくり。
 
 
武道館に着いた。アリーナ入り口は関係者入り口と近く、ちらっと覗いてみるとthe telephonesの面々、挙動不審な動き、どこかで見たことあるなと思ったらオウガの出戸くん。みんな見に来ていた。
 
 
アリーナ24列28番。ちょうど真ん中あたり。真上を見てみれば日本の国旗。武道館だなあとしみじみ思った。
 
 
 
 
 
(続く)